その日、わたしは二度目の朝食を迎えようとしていた…
二泊三日の長野の旅。二日目は宿で朝ごはんをいただいてから、ライ麦畑の収穫を手伝うことになっていた。豪華な朝ごはんを一通り食べて満腹になったその時、農家の方から朝食会へのお誘いの連絡をいただいた。
「今めっちゃ食べたところだ…」
「このコロナ禍に、関東からやってきた人間を食事に誘ってくれるの…?」
そんな思いを抱え、「コロナ禍なので念のため遠慮させていただきます」という旨をお伝えすると、返事は「気にしてないから!」とのこと。
気にしてないとかあるんだ…?と思いつつ、もう食べちゃいました!とも言いづらい…
「それではお言葉に甘えて」と返事をし、満腹のお腹を抱えて二度目の朝食会場へ。
そこに用意されていたのは、大きな羽釜。男性が薪をくべて羽釜の火を燃やしている。釜からはもくもくと吹き出す湯気。おいしそう…。
料理は火!と、今年は電子レンジを手放し炊飯器を手放し土鍋でごはんを炊くようになったが、薪をくべるには至ってないわたしは興味津々。
炊き上がると、釜をテーブルに移し、お野菜やお味噌が運ばれて来た。
「セルフで取ってね〜!」

おいしそうとはいえ、つい30分前にたらふく食べたわたしは遠慮がちによそって席へ。
席も外に設置され、椅子や丸太や石に座って、みんなで「いただきます」をした。
食事の内容は、白米、パプリカ入りの味噌汁、野菜の梅味噌和え。

至ってシンプル。これなら食べれるかも、と思って口にすると…
うめ〜〜〜!!
なんだろう。
え、?これは何?
ごくごくシンプルな食事に、何かが宿っている、いや、みなぎっている・・?
おいしすぎるよ〜〜〜と内心叫びながら、なぜかおかわり。
30分前に食べたとかはもはや気にもとめず、
あまりのおいしさに、身体が欲するままに2杯目をいただく。
やっぱりおいしい・・涙
この時わたしの中で、おいしさの定義が変わったと思う。
今まで、おいしいというのは主に味付けの話、あるいは組み合わせの妙の話をしていた気がする。
この時知ったおいしさは、味や組み合わせという話では無いし、お腹が空いてればなんでも美味しいという話でも無い。(お腹いっぱいだったから)
パワー。
なんと例えたらいいのかわからないが、元気に育った野菜が、わたしに元気を運んでくれた。
それをおいしさと認識したような気がする。
恐るべし、農家メシ。
おいしい朝食をありがとうございます🙏